2. Denzel    フォントを大きくする フォントを小さくする

デンゼル・ワシントン。誰もが認める実力と人気が平等に高い俳優。オスカー。 誰もが認める映画界最高峰と言われているが、人気と平等には、高さの差があるようだ。
オスカーを手中に収める事こそが、名優と言われる訳でも、高い出演料を得る訳でも何でもないが、ハリウッドを呼ばれる所では、 そのオスカーをとかく騒ぎ立てる。そのハリウッドに翻弄された私たち映画ファンも、1年の最大の祭りと思い、騒ぎ立てる。 そんなのに、デンゼルが翻弄されて欲しくないと思いながらも、「今年こそは...」と、デンゼルに一斉の希望が集中する。 そんな使命をデンゼルに課せたくないと思いながらも、ついつい私たちは願ってしまう。でも、もう願うのも疲れてきた。 毎年「今年こそは..」と思っているファン、そして本人。
デンゼルには、オスカーなんて、金のガラクタに過ぎないのを分かっていながらも、そのガラクタがハリウッドの象徴なら、 やっぱり手中に収めて欲しいと思わずにはいられない。

彼がアフロアメリカンだから、オスカーに値するのではない。彼は、それに値する、いやそれ以上に値する俳優だから、 取って欲しいとファンも懇願するのだ。それなのに、マスコミは彼がアフロアメリカンとして受賞して欲しいと願う。 彼がアフロアメリカンである事は事実。しかし、優れた俳優である事も事実。彼がアフロアメリカンだから、成立した役も多いのは確か。 だが、それ以上に彼が優れた俳優であるが為に成立した役の数は、それを上回っているのも事実。 しかし、オスカーはあの金のガラクタ像と同じように、目がなく、事実を見ようとはしてないのだ。

今回「トレーニングデイ」で演じたアロンゾという男。この男こそ、デンゼルに近いのではないかと感じた。性格とか云々は分らない。 が、同じように、アロンゾという男は、社会のシステムに翻弄され、デンゼルはハリウッドシステムに翻弄されているように思える。 デンゼルは、今までみんなの期待するヒーロー像を演じてきた。アロンゾは、自分も悪になる事で社会へのストレスを発散したが、 デンゼルはより一層に才能に磨きをかける事で、ストレスを発散しているように思える。そして、この映画のお陰でデンゼルは、 そのハリウッドシステムから開放されたかのように、実に伸び伸びと演じていたのが印象的であり、私個人は、そこに感動した。 社会システムが生み出した悪を、あれほどまでの憎たらしい迫力で演じてくれたからこそ、あの終末を迎えた時に、 彼も社会の犠牲者だったんだ...と気がつかせてくれた。私は、いつも以上に彼の演技に感動した。

オスカーに値するアフロアメリカンの俳優は、デンゼル一人じゃない。今までにも、それ以上に値する俳優達は沢山いた。 けど、時代という誤魔化しで、彼らは苦杯を嘗めてきた。もう誤魔化しはきかない...


3/21/02
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