!! また新しく書き直しています。 こちらは、古いバージョンです。

>> Soul Cimema History
1980-1990

{1980}


>> 80's

80年代は、コケイジアンによって、沢山のアフロアメリカンの歴史を取り上げる作品が登場した。 「ミシシッピー・バーニング」「グローリ」「カラー・パープル」等がそうである。 またアフリカンの歴史を取り上げた「遠い夜明け」もあった。とりわけ「カラー・パープル」は、 スピルバーグ監督の作品とあって、注目を集める事となった。それらの映画に出演して経験を積んだのが、 ウーピー・ゴールドバーグデンゼル・ワシントンモーガン・フリーマンダニー・グローバーオプラ・ウィンフリー等だった。しかし、「ミシシッピー・バーニング」、「グローリー」、「遠い夜明け」にしても、 主役はコケイジアンであったのが、常であった。
その「グローリ」で、ワシントンがオスカーの助演男優賞を受賞したりしたが、 今だポワチエ以降、主演を取った者はいない。まだ彼等が、本当に演じたい役を演じるのには、待たされたのである。

>> Eddie Murphy / エディ・マーフィ

80年代になると強烈なキャラクターが登場する。それがエディ・マーフィだった。エディは、19歳にして、 有名な「Saturday Night Live」のレギュラーとなり、映画にも出演した。そして1982年にニック・ノルティと共演した「48時間」が 大ヒットして、世界的に有名となった。この映画でハリウッドはアフロアメリカンとコケイジアンの2人を主役にする事によって、 両方の観客を得る事を知る。それは、後の「リーサル・ウェポン」等にも繋がる。

そして、1984年には、マーフィが主役の「ビバリーヒルズ・コップ」が完成した。 それに続く1987年の「ビバリーヒルズ・コップ2」等の空前のヒットにより、マーフィは、人気を不動のものとする。 90年代に入り、ロマンチックコメディ等を沢山作り出してきたが、マーフィーの人気は、80年代に比べると、落ちていく事となる。 マーフィの人気も、70年代と変わらずに、コケイジアンの手によって作り出されたものだったのだ。
それが80年代後半になると、自分達の映画を作りたいという、高い意識をもった映画人達が登場してくる、 それがスパイク・リーロバート・タウンゼントキーネン・アイボリー・ウェイアンズのような青年だった。

>> Robert Townsend / ロバート・タウンゼント
&
Keenen Ivory Wayans / キーネン・アイボリー・ウェイアンズ

タウンゼントは、大学で演技の勉強をした後に、 シカゴの有名な「Second City troupe in Chicago」に参加する。 彼はまず、少しずつ役者として役を掴み、「ソルジャー・ストーリー」の脇役で注目されるようになる。 そんなタウンゼントが、当時大人気だったエディ・マーフィのスタンダップ・コメディを収録した映画「Raw」に、 ウェイアンズと共に、監督に抜擢される。
ウェイアンズは、NY出身で、大学を中退して、コメディアンを目指し、その当時はテレビ出演等で、力を付けていた人物だった。 その仕事を経て、2人は意気投合し、自分達の映画を作る事を決意する。
彼等がいつも感じていて、うんざりしていた出来事等を「Hollywood Shuffle」という映画で、風刺した。 当時のアフロアメリカンの俳優達は、エディ・マーフィのような感じをいつも求められていたと言う。 彼等は、友人の俳優達の助けを借り、資金もタウンゼントが俳優業をして稼ぎ、ロケ代をケチる為に、 わざと「UCLA」の学生のフリをして、撮影中はUCLAのTシャツなどを着ていたと言う。
2人共、その映画で自信をつけて、ウェイアンズは70年代のブラックスプロイテーション映画のパロディ映画を、 当時のヒーロー達をキャスティングした「I'm gonna git you sucka!」を完成させて、人気を得た。 その後はテレビ界に進出して「In Living Color」を、才能溢れる自分の兄弟達と共に制作。そこから出てきたのが、 デーモン・ウェイアンズ、ジム・キャリー、デビット・アラン・グリアートミー・デビットソンジェイミー・フォックス等である。その番組で彼等はテレビ界最高峰のエミー賞を受賞する事となった。
一方、タウンゼントの方も、監督業、俳優業共に、充実させ、またウェイアンズの助けを借りて、タウンゼント監督、 ウェイアンズ、タウンゼント脚本の、「The Five Heartbeats」という、佳作を送りだした。
そして、その彼らが作った「Hollywood Shuffle」を見て影響を受けた青年...リー監督が登場するのである。

>> Spike Lee / スパイク・リー

リーは、キング牧師も卒業したモアハウス大を卒業すると、生まれ育ったNYに戻り、 モアハウス大の時にカメラを買って夢中になったので、有名なニューヨーク大の映画科の大学院に進んだ。その卒業制作に、 作ったのが有名な「ジョーズ・バーバショップ」だった。その映画で学生アカデミー賞を受賞して、 次回作の「シーズ・ガッタ・ハヴ・イット」でも注目を集めた。そこに大手のコロンビアが注目して、 1988年「スクール・デイズ」を完成させた。その作品で注目を集めたリーは、今度も大手のユニバーサルと7年契約をした。 そして、そこで1989年に「ドゥ・ザ・ライト・シング」を完成させて、大きな話題となって、リーは時の人となった。
次々と「モ’・ベター・ブルース」「ジャングル・フィーバー」等の 作品を送りだした。「モ’・ベター・ブルース」で、主役を演じたのがデンゼル・ワシントンだった。 そのワシントンを主役にして完成させたのが「マルコムX」だった。それまで人々に勘違いされていたマルコムXを主役にして、 彼の違った一面を見せて、多くの人々がマルコムXについて、関心を寄せた。 この映画でワシントンはオスカーの主演にノミネートされたが、惜しくも受賞は逃している。 このように、リーは、アフロアメリカンの俳優達に、力を付けた人物である。リー作品に多く出演した、 ワシントン、ローレンス・フィッシュバーンサミュエル・L・ジャクソンウェズリー・スナイプス等は、 今現在、彼等の名前1つで観客を呼べるスターに成長した。リーの出現によって、やっと俳優達は、自分達の演じたい役を、 自分達の仲間と共に制作出来る事となったのだった。


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参考文献
「ブラック・ムービー」著者
>> 井上一馬
「ノイズ13号/『黒人映画』とは一体何だろう」著者
>> ジョン・G・ラッセル