1. ウェイアンズ兄弟についての簡単な紹介と、番組ができるきっかけ
ニューヨークで生まれ育ったのがウェイアンズ家族。10人兄弟(男5人・女5人)という子供も多さで近所でも有名。しかも市の狭い団地に12人が暮らしていた。母は専業主婦で、父は生きていくために色々な仕事を兼業していたが、暮らしは貧しかった。次男のキーネン・アイヴォリー、3男のデーモン、次女のキム、4男のショーン、末っ子のマーロンが目立って芸能活動をしている5人。他の5人も脚本や音楽なので、活動を支える事もある。同じように家族で活躍するマイケル・ジャクソンのジャクソン・ファミリーが音楽界の王朝ならば、このウェイアンズ家族はコメディ界の王朝と呼ばれている。現在では、彼らの息子や娘たちがこぞってデビューを飾り、セカンドジェネレーション(2世代目)の活躍も目立っている。キーネン・アイヴォリーが名門大学を中退してスタンダップコメディの道に進んだ事が、この家族の運命を大きく変えた。有名なコメディクラブ「インプルブ(Improv)」の最初のオーディションで一緒になったのが、俳優・コメディアンのロバート・タウンゼントだった。彼ら2人だけが黒人だったので、すぐに意気投合。他の俳優やコメディアンら(そのうちの一人は映画『ダイ・ハード』の警官役で知られるレジナルド・ヴェルジョンソン)と、コントを自作していた。いつかこんなショーをやりたいよねと。そして2人は一緒にハリウッドに進出し、1987年に『Hollywood Shuffle / ハリウッド夢工場/オスカーを狙え!! (1987)』という映画を共に制作。これを成功させ、タウンゼントがHBOのスペシャル『ロバート・タウンゼント・アンド・ザ・ヒズ・パートナー・イン・クライム』を放送し、以前の2人の夢を実現。このスペシャルはコントや歌などがあり、もちろんキーネン・アイヴォリーも参加し、デーモンがスタンダップコメディを披露している。このスペシャルこそが、後の『イン・リヴィング・カラー』のプロトタイプであった。 そして続く1988年にキーネン・アイヴォリーが念願の映画監督になった!それが『I'm Gonna Git You Sucka / ゴールデン・ヒーロー/最後の聖戦 (1988)』という作品である。そしてキーネン・アイヴォリーは、フォックスの重役に呼ばれる。また映画が作れると喜んで出かけたら、ミーティングに現れたのはなぜかTV部門の重役たちであった。落胆したキーネンであったが、フォックスの重役がしつこく連絡を取ってきて、しかも「何やっても良いよ」と言われたので承諾した。フォックスは黒人のショーをやりたがっていた。アメリカでは3大ネットワークと呼ばれるNBC、ABC、CBSが人気で、フォックスはそれらに比べて新しく人気も4番手だったのだ。 キーネン・アイヴォリーにはとある事が引っかかっていた。弟のデーモンが、あの『サタデー・ナイト・ライブ(以下SNL)』を1985年シーズンでクビになっていたのだ。デーモンはSNLでやりたくないコントをやらされ、それに反発する形で勝手に設定を変えてアドリブを入れた。SNLはライブ放送なのだ。速攻でクビになった。それもキーネン・アイヴォリーの頭にあった。「弟は才能あるのにそれを自由に披露する場がないなんて。そういえば自分の周りにはそういう人だらけだ!」と。キーネン・アイヴォリーは、才能あるコメディアンにチャンスを与え、最高に面白い、そしてSNLには出来ないショーを作る事を覚悟したのだった。 |
2. ジム・キャリーがこの番組に参加する事になった経緯
今年の2月に40周年を迎えた『SNL』が特別番組で放送したのが、オーディションテープだった。その中にジム・キャリーが含まれていた。ジムは計3回『SNL』のオーディションを受けている。一番最初は1980-81年シーズンのキャストオーディション。この時、ジムは若干18歳。この時はチャールズ・ロケットにレギュラーの枠を奪われたと言われている。この時にオーディションを受けていたメンバーが豪華で、あのジョン・グッドマンやロバート・タウンゼント、そしてピーウィー・ハーマンでおなじみのポール・ルーベンスがオーディションを受けたが、ジムと共に落ちている。そしてこの年に入ったのが、あのエディ・マーフィである。しかしエディ以外は不作で、エディともう一人を除いて、他のキャストはたった1シーズンで解雇となっている。そしてジムは1985-86年シーズンのオーディションも受けた。結果は落選。このシーズンからSNLに入ったのが、ロバート・ダウニー・ジュニアだった。めげずに次の年1986-87年シーズンのオーディションも受けた。結果は3度目の正直ならず。ジムは必死でコメディクラブで頑張った。少しずつではあるが、映画にも出るようになった。1989年に『ボクの彼女は地球人』に出演。地球にやってくる宇宙人の3人の1人を演じた。同じく宇宙人の1人を演じたのが、デーモン・ウェイアンズだった。実はジムとは『SNL』の1985-86年シーズンのオーディションで一緒だった。デーモンはオーディションで受かり、準レギュラーとなって番組に出演していたのだが、デーモンは渡されたコントのシナリオに納得がいかず、リハーサルは普通に済ませたが、本番の生放送で普通の警官役をゲイ役に変えてアドリブでやってみせたのだった。この事は、『SNL』の大ボスであるローン・マイケルズが激怒し、速攻でクビになったのだった。そしてそんな2人が出演した『ボクの彼女は地球人』は、批評家からはそこそこの評価を貰ったが、全国公開ではなかった為大ヒットとは言えず、人々の記憶に残る事は無かった。 しかし、この映画でデーモン・ウェイアンズと共演した事が、ジムの転換期となった。デーモンの兄キーネン・アイヴォリー・ウェイアンズが、フォックスで新しい番組を始める為にキャストを捜していたのだ。もちろんデーモンが出演した『ボクの彼女...』を見ていたし、コメディクラブで一緒になる事もあったジムの事をキーネン・アイヴォリーは良く知っていた。キーネン・アイヴォリーは、番組のキャスティング監督のロビ・リードにジム・キャリーをオーディションに来させるように指示した。ジムや他のキャストであるデビット・アラン・グリア、そして家族のデーモンやキムの才能はキーネン・アイヴォリーは周知の事であったが、どれだけ番組に情熱を傾けられるか、オーディションで見極める為に、わざとオーディションをしたのだ。 ちなみにSNL大ボスのローン・マイケルズは、ジム・キャリーという後の大スター発掘を失敗した事について、『SNL』の本でこう答えている。「俺は直接ジム・キャリーをオーディションした事ないんだ。アル・フランケンと他のプロデューサーがオーディションした筈だ」と、人のせいにしている。嘘である。 |
3. 番組が人気を得ていく過程と、この番組の中で、ジム・キャリーがどういう存在だったか
こうして『イン・リヴィング・カラー(以下ILC)』は、1990年4月から開始された。実はTV放映前から話題となっていた。アメリカではTV放映される前にパイロット版というお試し版が制作される。そのパイロット版が業界内で話題になったのだった。通常、それでレビューを書くことは無いのだが、「ヴァニティ・フェア」誌が『ILC』のパイロット版のレビューを書いたのだった。という訳で、鳴り物入りで放送開始。最初の週の視聴率も中々で、批評家たちからも絶賛された。おおむね「新しい」「斬新」「最先端」「過激」「賢明」などと評価を受けた。番組はスケッチと言われる、所謂コントを中心にし、ヒップホップアーティストを中心にした音楽ゲスト、そして合間には「フライ・ガールズ」と呼ばれた女性ダンスチームがヒップホップに合わせてダンスをしていた。その振付をしていたのが、女優として活躍するロージー・ペレス。彼女はスパイク・リーの『ドゥ・ザ・ライト・シング』に出演しており有名だった。このフライ・ガールズも黒人女性が中心であるが、白人女性、そしてキャリー・アン・イナバという日系人女性も参加していた人種融合ダンスチームであった。 そして有名人の物まねも多かった。当時グラミー賞のニューアーティスト賞を受賞したばかりで人気絶頂期を迎えていたミリ・バニリも、すぐに物まねされて皮肉られた。実はこの物まねを放送したのは、本人達が替え玉スキャンダルを告白する前の事だった。 3回もの『SNL』のオーディションに落ちたジム・キャリー、『SNL』に不満をぶちまけてクビになったデーモン・ウェイアンズがキャスティングされた『ILC』。まるで『SNL』の不満分子が集まって、『SNL』に対抗する形で作られた黒人版『SNL』だと当初から言われていたが、制作者のキーネン・アイヴォリーはこう答えている。「黒人版『SNL』では全くない。『SNL』の前にも似たような別の番組があったからね。黒人の経験に基づいたコントなんだ。どちらかというと『リチャード・プライヤー・ショー*1』が一番近い」。という訳で、やたらと黒人版『SNL』と言われた『ILC』で、唯一の白人男性のレギュラーがジム・キャリーだった*2。『SNL』はその逆で、大抵黒人男性1人がレギュラー、又は準レギュラーに選ばれており、黒人のステレオタイプをやらされる事が多い。もしかしたら、自分は白人ステレオタイプの役ばかりをやらされるのではないか?という不安をジムは抱えていた。しかし、キーネン・アイヴォリーはジムにこう話した。「そんな白人対黒人のコントばかりやっていたら、ネタは1年で尽きてしまうよ」と。黒人のステレオタイプをやされて不満になり『SNL』をクビになったデーモンの実の兄は、そんな事は百も承知だったのだ。キーネン・アイヴォリーは、ジムのやりたいようにやらせた。ジムはある日ゴールド・ジムで見た女性をコントにしてみせた。それがシーズン1エピソード10話目の「ヴェラ・デ・ミ―ロ」だった。男並み、いや男以上のプロテインたっぷりのたくましい体に、小さすぎるビキニ、そしてベースをきかせ過ぎた低い声(ベン・スティラーの『ドッジボール』のフラン、もしくは『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』のマザー・ロシアを思い出してくださいませ)。このヴェラをジムはお得意の身体コメディで演じて見せ、ジムの一番有名なキャラクターとなり、ジムの人気もうなぎ登りとなった。ジムの人気は白人だからという訳ではなかった。ジムが自由にジムで居られたから、ジムは才能をいかんなく発揮し、ファンを拡大していったのだった。 ちなみに放送開始された1990年の9月には、TV界最高峰と言われるエミー賞にて、「バラエティ・音楽・コメディ番組賞」を『SNL』を抑えて受賞している。黒人が制作・主演の番組では、未だに『ILC』だけが同部門のエミー賞を受賞。番組はこうして歴史に名を刻み、そして伝説となったのだった。
*1 『リチャード・プライヤー・ショー』タイトルで分かるように、伝説のコメディアンであったリチャード・プライヤーのコントありのバラエティ番組。人気があったが、過激すぎた為に1シーズンで終了。 |
4. 番組が終了する事になった経緯
『イン・リヴィング・カラー』が始まった頃は、制作のフォックス側もかなりユルユルだった。先に書いたように、フォックスは3大ネットワークから漏れており、4番手。視聴率獲得の為には何でもした。しかし番組が人気になるにつれ、フォックス側が番組の検閲を厳しくし始めた。シーズン1の一番最後の回の一番最後のコント「ザ・バットマンズ(お尻一家)」。これは頭のおでこがお尻になっている人々のコントであった。それに合わせて、お尻ジョークを多発していくのだが、これがフォックスの逆鱗に触れる。しかし、そんな事ではへこたれないキーネン・アイヴォリーは、そのコントを更に過激にした。バットマン家に挨拶に来るのが鼻がやたらと長い(つまり男性器を想像させる)男であった。しかし、鼻に鼻筋を付ける事で放送禁止となんとか回避した。番組が人気になるつれ、コントやネタが検閲で放送される事が出来ないという事態が増えていたのだった。シーズン3からは、後に大スターとなるジェイミー・フォックスとフライガールズとしてジェニファー・ロペス等が新たなレギュラーとして参加。新しい風を吹き込んだ。番組の人気キャラクターである、デーモン・ウェイアンズが演じたホーミー・ザ・クラウンなどのグッツも数多く作られ、人気絶頂期を迎えていた。しかし、この頃にはウェイアンズ家のフォックスへの不満が溜まっていた。一番人気であったデーモンが、シーズン3を最後に番組を去った。1992年には主演映画『モー・マネー』(*1)が成功したのもあって、映画に進出したのだ。キーネン・アイヴォリーへのフォックスからの圧が厳しい事を、デーモンはずっと感じていた。デーモンが番組を去ったのは、キーネン・アイヴォリーも去りやすくする為だったとも言われている。そんな訳で、キーネン・アイヴォリーもシーズン4を最後に『ILC』から撤退。他のウェイアンズ家でメンバーだったキム、ショーン、マーロン(シーズン4からレギュラーになっていた)も、一緒に番組を去った。 残ったジム、デビット・アラン・グリア、トミー・デビッドソン、ジェイミー・フォックス等は新しいメンバーを迎えてシーズン5に挑んだが、キーネン・アイヴォリーというキャプテンを失った船はすぐに沈んでしまう。シーズン5を最後に番組は終了してしまったのだ。
*1 ちなみに『モー・マネー』は、『ILC』のコント「ホームボーイ・ショッピング・ネットワーク」が元になっている。デーモンの次回作『ブランクマン』も『ILC』での「ハンディキャップマン」が元ネタ。 |
5. TV番組上で再結成していたと思うのですが、その時の様子などを簡単に
『SNL』のように40周年続け祝うという事は出来なかった『ILC』だが、番組終了後20年経つ今でもアメリカでは色々なチャンネルにて再放送がされている。現在は朝にこの『ILC』が見れるのだ。そして、2012年にはテレビランドという人気番組の再放送を主に流しているチャンネルが開催する「テレビランド賞」にて、名誉賞である「グラウンドブレイキング・ショー賞」を受賞した。授賞式には、デーモン・ウェイアンズを除くメンバーが集結し再会した。実はこの同じ時期に、『ILC』をリブートするというプロジェクトがあったのだ。とりあえず、あの時のオリジナルのメンバーで再結成のスペシャル番組を作り、その後キーネン・アイヴォリーによって新しいメンバーでの『ILC』を開始するという夢のようなプロジェクトだった。しかし、再結成のスペシャルもなくなり、リブート版もなぜか流れた。噂ではキャスティングも済んでおり、パイロット版も作ったという話であった。ジム・キャリーにとって『ILC』は、ジムがジムで居られる場所で、それが良しとされた場所だった。そんな場所を見つけたジムの1994年後の活躍は皆さんの知る通りである。『ILC』で自由に暴れる事を許されたからこそ、ジムは『エース・ベンチュラ』や『マスク』で大暴れをし、『ジム・キャリーはMr.ダマー』で大バカをのびのびと演じられたのであった。
|
1. ヴェラ・デ・ミ―ロ(Vera DeMillo/Vera Demillo/Vera Demilo)Season 1- Episode10 初登場
『ILC』でのジムのキャラクターと言ったから、まずこれですね!上でも書いた通りです。 |
2. ファイアー・マーシャル・ビル(Fire Marshal Bill)S2-E14 初登場
次にその人気なのが、この消防保安官ビル。一般人に火の恐怖を訴え、安全に使用してもらう為にビルは模範指導をするが、なぜかいつも一番自分が被害に遭って、最後には頭も燃えてツルッパゲになってしまうコント。 |
3. バッド・カラテ・クラス(Bad Karate Class)S1-E6
タイトルの通り、最悪な空手道場の先生を演じている。女性に護身術を教えようとしている。『SNL』のジョン・ベルーシの伝説のコント「サムライ」を彷彿するジムの熱演。「キアイ―!」と日本語も披露。 |
4. ラッシー’90年度(Lassie '90)S1-E3
ご存じ名作『ラッシー』のパロディ。90年度版。ラッシーは人々を食いちぎる狂犬だが、飼い主のジムはのほほーんとしていて、ラッシーを溺愛している。 |
5. 下品なピーウィー・ハーマンの警察顔写真とポルノ館の玩具セット(Sleazo's Pee Wee Herman Mugshot Doll and Pornhouse Playset)S3-E1
ピーウィー・ハーマンを演じていたポール・ルーベンスのスキャンダルを痛烈に批判したコント。ジムがピーウィー・ハーマンのメイクで熱演。これこそ『ILC』の真髄。 |
6. ヴァニラ・アイス - ホワイト・ホワイト・ベイビー(Vanilla Ice - White White Baby)S2-E15
当時人気だった白人ラッパーのヴァニラ・アイスをおちょくる作品。唯一のヒット曲「アイス・アイス・ベイビー」を1曲丸ごと替え歌。 |
おまけ)上記で書いた「ザ・バットマンズ(お尻一家)」
ジムはディックを演じております。 |