|
●● レビュー Cosmos映画監督ウィリアム・グリーブス(ウィリアム・グリーブス)は、ニューヨークのセントラルパークにて、映画を撮っていた。実験的な映画であり、俳優も初めての映画なら、スタッフも始めての映画経験であった。台詞も余り決まっていない中、彼等は映画「Over the Cliff」の制作を進めていくが... 黒人俳優で監督のウィリアム・グリーブスによるシネマ・ヴェリテであり、実験的映画であり、ドキュメンタリーをドキュメンタリー化したドキュメンタリーである。と、訳が分からないと思う。実際にこの映画は1968年に撮影され、1971年ごろ完成したが、配給会社の人々も全く理解出来ずに、20年もお蔵入りしていた作品である。1992年のサンダンス映画祭で公開され、たまたま会場入りしてこの作品を見た俳優のスティーブ・ブシェミが気に入り、スティーブン・ソダーバーグの助けを借りてやっと日の目を見たのである。 彼等は「Over the Cliff」という作品を取っている事になっている。同じ台詞を繰り返すが、セントラルパーク内でもちょっと場所を変えただけで、そしてちょっと時間が違うだけで、その環境から全く違う趣になる。もちろん役者を変えるだけで、だいぶ変わってしまう。そしてグリーブスは、時にだらしないどうしようもない監督を演じみせたりする。その中でスタッフは監督抜きの秘密のミーティングで、監督へと愚痴を爆発される。それはすべて彼等がこの作品を良い物にするしようとするもので、彼等は自然に調和していくのが分かる。 しかもマイルス・デイビスの曲がその「偶然性」作品をより浮き彫りにするのだった。 それらが全て生々しく記録されている不確定性で偶然性即興コスモ記録映画なのだ。 (Reviewed >> 3/26/13:DVDにて鑑賞) |
●● 100本映画 いやー、キリのいい番号で、衝撃的な映画を観る事が出来ました。私にとっては「Killer of Sheep / 日本未公開 (1977)」以来の衝撃。こんな映画が30年近く埋もれていたとは、ハリウッドもまだまだ!!これがね、また心地良いくらい訳分からない映画なんですわ。でもね、分かると滅茶苦茶気持ち良い。というか、タイトル分かります?ご安心下さい。分からなくて当然です。アメリカ人でも分からないし発音も出来ない単語ですから。タイトルの「Symbiopsychotaxiplasm」は、監督ウィリアム・グリーブスが作った言葉。タイトルから「psycho」を取った「Symbiotaxiplasm」は、哲学者アーサー・F・ベントリーの言葉。環境で起こる全ての事は人間によって引き起こされており、相互作用である。それは映画でも同じ。グリーブスは「身体・社会的・物質的環境は人々の人格や性格は大きく影響されている。弁証も同じである。各自、人間と環境によって会話される。今、ここでもシンバイオタクシプラズムだ。君達は私に影響を与えていて、私も君達に影響を与えている。人間の歴史で社会で起こった進歩的な事全てが、交流の結果だったという事さ」と語っている。 映画を語る前にこの映画で使われている曲が当時発表されたばかりのマイルス・デイヴィスの「イン・ア・サイレント・ウェイ」だった。そのマイルスの曲を解説している中山康樹氏の言葉を借りたい。「しかもこの演奏の後半は、前半のテープをそっくりそのままリピートさせただけのもの。にもかかわらずまったく別の演奏に聞こえるのはどういうわけか」と書いている。これを覚えておいて欲しい。 ウィリアム・グリーブスはアクターズスタジオ等にいたまだ経験が浅い俳優達や裏方を使って「オーバー・ザ・クリフ」という映画を作る為にニューヨークのセントラルパークに集める。そこで「映画を撮るのを映画にする!」と言い、決められた台詞もわずか。男と女が公園で喧嘩をしているシーン。2人は結婚しているけれど、女は子供を中絶、男にホモが!と詰め寄る。それだけ。公園では撮影中にも関わらず、野次馬が居たり、ホームレスの酔っ払いが居たり、撮影許可はあるのか?と警官が寄って来たりと様々。その中で環境を変え、役者を代えて撮影を進めていく。グリーブスはときに必要以上にふざけて?オペラ調にしたりと、スタッフの怒りを買う。それを受けて、スタッフはグリーブス無しの秘密の会議を決行する。スタッフの愚痴だらけである。というのを全て収めたドキュメンタリーをドキュメンタリー化したドキュメンタリーなのであります。って分かるかな?「オーバー・ザ・クリフ」という映画はもちろん作られていないという事。同じ環境に集められた人々が、もし困難にぶち当たったら、どうなるか?という実験的映画。つまり、グリーブスはマイルス・デイヴィスが「イン・ア・サイレント・ウェイ」でやった事を映画でやってしまったのだ。 っていう作品をですね、黒人監督が全く黒人とは関係ない作品を1968年に撮っていた事実って、凄いですよ。公民権運動の真っ只中で、黒人監督は黒人の困難を撮るのが当たり前とされていた訳ですから。いや逆に、グリーブスもマイルスも黒人だから出来たのかもしれない。独特の感性と困難の相互関係。 そして男女2人が口論している「中絶」も「同性愛」も、未だアメリカが克服できないでいる大きな問題。この2つの問題は、また今大きな局面を迎えている。 グリーブスは、シドニー・ポワチエと一緒に「Sepia Cinderella / 日本未公開 (1947)」で映画デビュー。その後も順調に俳優として活躍していたが、出演した映画監督に師事して映画編集も学ぶ。その後にカナダに渡ってカナダにて300本近くの映画制作に携わる。しかし公民権運動の時代になり、激化してきた頃に自分もこの映画の才能で公民権に携わろうと、アメリカに戻ってくる。政府関係で映画を撮った後に、「ブラックジャーナル」という番組に携わる。この番組には若い黒人映画監督セント・クレア・ボーンやスタン・レイサンも居た。黒人の声を紹介する番組の筈なのに、相変わらずプロデューサーなどの高い地位は白人だったので、ボーンやレイサンがクーデターを起こして、グリーブスを製作総指揮にのし上げた。やっと自分達の声が作れた!と喜んでいたら、グリーブスが突然居なくなって出来たのが、この映画。グリーブスの弟子的な関係にあるセント・クレア・ボーンですら、この映画を当時最初に見た時に「全く意味不明だった」と語っているほど。なので、映画は誰にも全く理解されず、そのままお蔵入り。上映される事もなく、25年ほど眠っていた。1990年代初頭に、ブルックリン・ミュージアムがウィリアム・グリーブス特集をやるというので、グリーブス本人が持っていたフィルムを貸し出す。その中にあったのがこの作品。最初はタイトルといい、何これ?状態だったが、ミュージアムの人が気に入り、オープニング作品として発表。そこでやっとこの映画が知られる。映画監督スティーブン・ソダーバーグの知る所になる。そして1992年のサンダンス映画祭でも上映。その年、たまたま自分の作品が上映されるのでサンダンスに居たのが、俳優のスティーブ・ブシェミ。ブシェミも見てみたらスゲーって事になって、エンディングの「カミング・スーン テイク2」を見て、グリーブスにその続編について聞いてみると、「テイク1ですら上映できなくてお金が集まらず撮ってない」というのを聞いて、なら撮りたい!と、「テイク2 1/2」に続く訳であります... という訳で次回また。 というか、この意味不明なサイコなブログを読んでしまった君もどこか影響され、後の会話に影響するかもしれない。それが「シンバイオサイコタクシプラズム」。 (1100本目) |
●● トリビア 俳優であり監督であるウィリアム・グリーブスのドキュメンタリー作品。「Take 5」まで作る予定だったが、上手くいかずにこの作品だけ残っている。しかし、後の1992年のサンダンス映画祭で公開され、それを見たスティーブ・ブシェミが気に入り、スティーブン・ソダーバーグの助けを借りて、続編の「Take 2 1/2」が2005年に完成した。 |
●● その他 |
●● 受賞歴 |
●● サウンドトラック Soundtracks not available |
●● 関連記事 |
|
●● インフォサイト http://www.imdb.com/title/tt0296881/http://en.wikipedia.org/wiki/Symbiopsychotaxiplasm Not available from Allcinema |
|
|